1997年5月18日、名古屋市内の久屋大通公園というところで行われた「JWA東海」出張試合に参加した。いわゆる定期戦ではないが2度の視察の末、特別参戦にこぎつけた。
提供試合のカードは、黄金カードのジパングvs板倉。老舗JWAで、どれだけ<SSSの闘い>をアピールできるか。それがこの時のテーマだった。しかし野外での出張イベントだという特殊性もあり、Sのカラーをアピールする場としては条件が悪かったと思う。観客も遠巻きに眺めていると感じだった。
板倉はアグレッシブに攻め、僕もとっておきのフェニックススプラッシュを出したが試合展開はなぜか空回りし不完全燃焼に終わった。最後はオリジナルのフェニックスドライバー(※リバースブレーンバスターの要領で持ち上げ、ファルコンアローのように落とす技)で勝利。9分46秒片エビ固め、10分以内で決着する短かいタイムだった。前回の試合内容を上回る事はできませんでした。
普段ならありえないミスを連発、すべては僕の責任。名古屋遠征に付き合わせた板倉に悪い事をしたと、試合後は自己嫌悪に陥った。キャリアを積み実力をつけて、いつかJWA東海の定期戦に出たい。その時、決意したのでした。
それから6年後・・・、『東海プロレス』を旗揚げした脇海道代表からオファーを頂き念願の定期戦へ出場する事ができた(2003年2月、7月)。僕が感激したのは言うまでもありません。


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