『SSSフィーチャリングメビウス』(SSS feat.メビウス)こと第3次SSSの活動期間は1999年4月〜2000年11月。興行回数はたった9回。代表(会長)が僕で、共同運営のパートナーがファイティングプロデューサー・K氏であった。メビウスの折原さんはこのタイアップの発案者でメビウスの看板をいただいた。のれん分けのようなもの。業界の掟などを知ることができたし折原さんと知り合えたことは僕にとってプラスとなった。
新生SSSからのメンバーはプロレスリング部門所属。フリーの立場から入団したK氏や一度はSを離れていた大石さん、シュート系の他団体からの移籍組はシュートファイティング部門所属。スタッフを含めると総勢30名近い大所帯となった。過去のことなので結論から言うと僕のいわゆるワンマン体制が反発を生み2年弱で分裂の事態を引き起こした。僕の理想を押しつけてしまっていたようだし多くの仲間を傷つけてしまった。僕には政治力、資金面でみんなを納得させる力が無かった。結果的にはこれをきっかけに代表を退き一プロレスラーに専念することができたしプライドも取り戻した。そういった意味ではメビウス時代は何度か辛い思いはしたが良い経験をさせてもらったと思っています。今も絶縁状態の人がいるので書ける範囲で9回の大会を振り返りたい。次回はやっと旗揚げ興行について。


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