2000年6月4日「S−1 FESTIVE」SSS認定リアルワールドシングル選手権、I選手との第1戦以来のリターンマッチ。ムーンサルトフットスタンプで相手の顔面を破壊したが高角度ドラゴンスープレックスでリベンジされた。12度目の防衛ならず。
2000年7月2日小山市「S−1 GLORY」。マグナム選手とシングルで対戦し逆十字で勝利(09分48秒)。
2000年9月3日小山市「S−1 HISTORY」。SSS認定リアルワールドタッグ王座決定戦・○ZIPANGU&Hvs蛭田&金子●、16分46秒スクールボーイで王座獲得。以前にも書いたがこの日は10周年記念マッチで師匠の舘野和洋と対戦、5分ドロー。節目となった
そして第3次Sの最終興行となった、2000年11月26日日立市メディアシティ「S−1 IDEAL」。岡澤君とタッグを結成し、タッグの祭典・GTT2000に出場。一回戦で板倉&塙、決勝で蛭田&Iを連破し優勝。ロイヤルランブルも行なわれ大盛況で幕を閉じた。
この大会後、岡澤君と板倉の以外の選手がSSSからフリー宣言し大量離脱。翌年3月には新団体『格闘プロレスリングSSS』が旗揚げされ、中立のスタンスを通した板倉はフリーに。僕と岡澤君だけになったSSSはメビウスに看板を返還し再起を模索。本拠地を日立とし、岡澤君に代表職を委任した。新体制『PRO-WRESTLING SSS』立ち上げに向け動きはじめたのです。


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